最短ルートで行かなくちゃ




 わたし、巻島先輩が、好きだ。

 「何ショ。んなジッと見られると照れるっショ」

 「あ! すみません!!」

 「別にいいけどヨ……」

 こっちを向いてくれていた巻島先輩は、英語ばっかりの参考書に目を戻した。左手にはシャーペン。右手は参考書を押さえてる。ほっぺたは少し赤い。夏の陽射しのせいじゃない。だって図書室、エアコンついてて涼しいもん。そうさせたのは自分だと思うと、ちょっとした優越感。

 ローマ字でも右肩下がりな巻島先輩の文字が、キャンパスノートに並んでゆく。わたしも手にしていた本を読み始める。巻島先輩が少し前に薦めてくれたやつ。意外にもスパイもので、どんなところがいいのか聞いたら、スリルがあっていい、とのことらしい。とはいえ、まだ冒頭三十ページくらいだから、その該当シーンには至ってない。ちなみに本の一番後ろに入ってる貸出カードには、巻島先輩の名前しか書かれていない。今のところ、総北では巻島先輩とわたししか知らない世界ってことだ。

 貸出カード。それが巻島先輩と知り合ったきっかけだった。わたしが一年生の頃、昨年図書委員だった先輩に聞かないと分からないことがあって、助けてくれたのが巻島先輩だった。図書室でウロウロしてたら「どうかしたの、かい?」って声かけてくれたんだっけ。会話が苦手なのに、人に優しいから放っておけずに声かけるのは、その頃からずっとだ。少しずつ打ち解けていって、口癖の「ショ」も普通に言うようになったけど、それまではキザっぽい話し方だった。あれはあれで、ディズニーの王子様みたいで素敵だったような気もするけど。たぶんあの頃みたいに話しかけてくることはもうないんだろうな。


 初めて会ったときは一言二言話して終わっちゃったけど、それからも何かと図書委員関係のことを相談した。だって、先生にアレが分からない、これが分からない、って言うと、だいたい決まって「それなら二年の巻島が知ってる」って返ってきたから。巻島先輩、見た目に反してわりと真面目で押しに弱いところがあるから、一年生のとき、図書委員の仕事を何かと押し付けられていたらしい。実際、去年に発売された本の貸出カード、ほぼ巻島先輩の筆跡でタイトル書かれてるし。自転車の大会とかにも出てたのに、ちゃんとやることやっててえらい。絶対もっとヒマな帰宅部の先輩とかいたはずなのに、誰にも愚痴を言ったり自慢したりしないのが格好いいな、って思った。それで、もっとこの人を知ってみたくて、何かと理由をつけては巻島先輩の教室に行って、図書委員のことについて聞いた。

 こうして巻島先輩に会いに行きすぎた結果、わたしが教室の前に行くと、ドアから一番近い席に座っている他の先輩が「巻島くーん、さん来てる」と自動的に巻島先輩を呼び出してくれるようになった。連絡先を交換したのはそれから二ヶ月後、わたしが一年生の夏頃だった。わたしが言い出さなかったら、未だに知らなかったかもしれない。


 今、知り合って二度目の夏が来てる。


 二年になってからも、相変わらずわたしは巻島先輩の教室に行っていたし、その度にやっぱりドアに近い先輩が「巻島ァ、さん来てるぞ」って言ってくれた。図書委員のことなんて、もう聞かなくても全部分かってしまったから、最近は英語のこととか、自転車について聞いたりしてた。巻島先輩が出る試合も全部見に行って、感想を伝えたりルールを聞いたりした。先生からは、あまり受験生にちょっかいかけないようにって言われたこともあった。けど、話していないと繋いだ糸が切れちゃいそうで、迷惑だって分かっていながら何度も足を運んだ。そうすると、巻島先輩はいつだって、仕方ないなって顔して迎えてくれた。たまに田所先輩とか金城先輩もいたけど、「何か聞きたいことあるから来たんショ」って、ちゃんと時間を割いてくれた。やさしい気遣いに、何度も心があたたかくなった。


 けど、そんな巻島先輩も、来年どころか来月にはもういなくなってる。何かを直接伝えたいなら八月の終わりまで。このことを知ったのは、夏休みに入る前の七月のことだった。最近ずっと英語の参考書ばっかり読んでますね、って指摘したら、気まずそうな顔して教えてくれたからだ。わたしが言い出さなかったら、これも未だに知らなかったのかな。結構打ち解けてたつもりだっただけに少し寂しかった。けど、さっき、まだ誰にも伝えられていないって言った。巻島先輩がすごく辛そうな顔してるのに、それを聞いたわたしは、内心喜んでた。わたししか知らない、巻島先輩のこと。なんでそんなに嬉しかったのか、今、分かった。好きな人に特別扱いされたからだ。

 それにしても、好きだって気づいたのがついさっきなんて、タイミング悪すぎて、ひどいや。素敵な人だなって思ってたのはずっと。やさしいなって思ってたのもずっと。けど、わたしはずっと、お兄ちゃんがいたらこんな感じなんだろうなって。こんなに独占欲持っておきながら、気づくのが遅すぎた。

 どうしたらいいんだろう。このまま言わずに巻島先輩を見送る? いつか帰ってくるのを待つ? わたしは巻島先輩とどうなりたいんだっけ。困らせたいわけじゃなくて、でも、わたしだけしか知らないことをもっと増やしてほしくて。そのためには何を聞くのがいいんだろう。

 「また見てるっショ。どうしたァ? 今日はヤケに……」

 「あの、わたし巻島先輩が好きみたいなんですけど」

 「え!?」

 細いように見えてちゃんと男らしい肩が震える。シャーペンもそれに連動して、aって書いてたのにqみたいになっちゃった。その文字とわたしの顔を交互に見る巻島先輩。さっきよりも濃度を増した赤い頬に、こっちを見たり壁を見たり忙しい目。あんまり見ない表情だ。こういう顔をもっと知りたい。もっと見たい。でも時間が足りない。だったら、雑でもなんでもいいから、一番の近道を行かないと。待ったり諦めたり悲しんだりする時間なんてない。まっすぐこの人を追いかけないと、もう間に合わないんだ。

 だからわたしは、巻島先輩にこれを聞く。きっとこれが、最短ルートだから。

 「どうやったら巻島先輩に好きになってもらえますか」

 巻島先輩は、わたしが聞いた質問を百発百中で返してくれる。一年半、ずっとそうだった。きっと今回も教えてくれる。わたし、ずるいかな。考えるよりも先に答えを聞いちゃってる。

 「やれやれ……」

 伸びた前髪を右にはらって、巻島先輩がため息をつく。困らせちゃっただけだったかな。

 「に小野田、そして東堂……。どうしてオレについてくるヤツらはこうもまっすぐでドマジメなんショ。どうやったらも何も──」

 仕方ないなって、いつもの顔。わたしの頭を撫でて、巻島先輩は微笑んだ。

 「とっくになってるショ」







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