オレの名前をちゃんと呼んで




 高一の秋、オレに起きた変化は二つあった。

 一つは長く乗り慣れたジオスを買い替え、タイムにしたこと。もう一つは、よく分からないけど人の心の声が聞き取れるようになっちまったことだ。

 少し前、金城はオレが怒鳴っちまったときのことを「心の声が聞けてよかった」って言ってたっけ。まさか本当に心の声が直接聞けるようになっちまうとはな。しかも金城じゃなくオレのほうってのがおかしいショ。

 一応、声を聞く条件みたいなモンがあるらしい。聞き取りたい相手に、オレが左手で触ること。人間であること。犬や猫は何言ってるか分からなかった。ニャーだのワンだの言われてもな……。相手と近い距離にいること。半径二十メートル程度なら姿が見えなくても聞こえるみたいショ。そして最後、オレが手を洗うと、リセットされること。田所っちや金城で密かに実験しちまったことには悪く思うが、あいつら裏表なくて笑っちまった。



 田所っちの場合──

  眠ぃ。つか腹減ったな。

  あー、白飯に蜂蜜かけたやつ大盛りで食いてえ。

  タイム伸びねェ、なんでだ……。


 金城の場合──

  期末試験、再来週か。次の練習試合も控えているが頑張ろう。

  さっきの女子、泣いていたな。悪いことをした。

  でも……今のオレには自転車しか見えていないんだ。



 金城が想像より告られてたってのはビビったけど……スリルが足らねェ。裏表がないのは結構だが、聞く楽しみがないショ、そんなの。だからって、どーでもいい相手の裏事情知っても意味ないしな。それにオレがいきなりベタベタ触り始めたらさすがにおかしい。

 何か裏があって面白そうでオレに近い人物なんて──

 「ミドリくん! ちょうどよかった」

 「さん……何スか」

 トイレから教室へ帰ろうとしたら話しかけられた。さんだ。ウチの部で唯一の女で、マネージャー。オレの髪が緑だから“ミドリくん”ってアダ名つけて呼んでる。先輩だし極端に嫌がるほどのことでもないから放っておいてるが、正直好きなアダ名じゃない。センスないショ。まァ、いい人には違いなくて、たしか寒咲さんとデキてるって噂の人だ。実際いつも一緒にいるし、多分そうなんショ。

 「図書委員だったよね?」

 「あ、はい」

 「実は私もなの。昼休みの貸し出し担当の子が二人とも風邪でお休みしちゃってるらしくて、私とあと一人必要なんだけど、ミドリくん、昼休み空いてる?」

 「……」

 「えっと……その顔どっち?」

 よく聞かれるけど、どう考えてもオーケーの顔してるっショ、オレ……。

 「大丈夫ス」

 「ありがとう! またお昼ね」

 「うす」

 さんも裏表なさそうな人っショ。雰囲気も寒咲さんと似てる。やさしいし気が利く、いわゆるイイ先輩ってやつだ。だからこそ、オレの中にちょっとした好奇心が芽生えちまった。

 「さん」

 左手でさんの肩に触れる。さんが振り向く。

 「あ、やっぱなんでもないス」

 徐々にさんの心の声が聞こえてくる。



  なんでもないって何だろう?

  ああ、それにしても癒し……。

  巻島くん本当に可愛い。



 え、なんショこれ。本当にさんの声か?

 「本当に大丈夫? 無理だったら断っていいからね」

 「あ…ハイ、大丈夫ス、問題ないス」



  てかめっちゃいい匂いする。

  シャンプーの匂いかな?

  それにしても下まつげ長い。

  鼻筋が美しすぎる。

  縦に並んだホクロがエロい。



 思わず顔のホクロを左手で隠した。え、エロいって何ショ……。つか女の人もそういうこと考えるんだな。しかも、さん。いつもニコニコしてて、煩悩なんてありませんって感じの人。意外すぎて目が合わせられねェ……。

 「あっ、さん、またっ、昼休み、ショ!」

 さんから目を逸らしたまま「じゃ!」と手を上げて教室へ逃げ込む。ってオレ、昼休みさんに会って大丈夫か? 休憩時間で手ェ洗わないと無理ショ。あれが聞こえっぱなしはヤバいっショ。



  今日の昼は天国かな?

  そうに違いない!

  みんな〜! 

  図書室に可愛い可愛い天使が来るよ〜!

  え? どんな天使かって?

  それは〜〜〜巻島裕介くんだよ!!



 ……まだ聞こえてるし、さん、オレのこと何と思ってるんショ……。つかさんって寒咲さんとデキてるって話だったよな。なんであんな……。オレが好き、みたいなこと考えてんショ。いや、可愛いつってたし子供でも見てる感覚なのかもしれない。皆の母親みたいな人だとは思ってたが、こういう風に考えてたのか。よく分からねェ人だな。

 あーもう、あんま考えないようにするショ。つかさん、三年だから三階だよな? 次の授業間に合うのか? あと三分で休み時間終わっちまうけど。あ、声がだんだん遠ざかってる。走ってったな。そもそもなんで一階にいたんだ? まァ……どーでもいいショ。


 授業が始まって、初めて知った。オレの教室とさんの教室、階数が違うだけで同じ位置にあるらしい。授業が始まったら、またさんの声が聞こえ始めてきた。そりゃそうだ、県立の高校はそこまで天井が高くないっショ。つまり、心の声が聞こえる圏内ってワケだ。



  巻島くん、真面目な努力家なんだよなぁ。

  峰ヶ山ヒルクライムでいい成績出したし。

  長瀞山のほうは振るわなかったけど……

  ジオスからタイムに変えた後の合同練習では一位だった。

  長年の相棒を思うと変えにくかったなんて、

  自転車思いな子。

  寒咲くんに巻島くんが買いたがってるやつのこと

  安くできないか聞いておいてよかった。

  それに巻島くんは図書委員からの評判もいいし。

  人付き合い苦手みたいだから、

  今日の昼を機に仲良くなれたらいいな。



 フツーにいい人ショさん……。さっきは正直キモいって思ったけど、まァ、やっぱ悪い人じゃないんだな。後輩思いなのが行きすぎちまった表現ってヤツだ。



  

  それにしてもさっき本当いい匂いした。

  お昼時間に隣に来るんでしょ?

  ようし、嗅ぎまくろう!



 …………。前言撤回っショー!? 変態じゃねーか、痴女じゃねーかさん!!! やっぱり昼休みの件断るか? けどオレさんの連絡先知らねェし……あ、寒咲さんに言えば伝えてくれるかも──

 「じゃあここの問三、巻島くん」

 「ッ……はいショ」

 急に呼ばれて一瞬ビビッちまった。さんのせいにしてやりたいけど、そもそもこんなチカラ持ってるオレのせいでもあるんだよな。最初はおもしろいし便利なモンだって思ったけど、不用意に左手で誰かを触るのはもう止めにしとくか。それにさんだって、心の声が聞こえなけりゃただのいい先輩ショ。オレが昼休みの係やらないって言ったら、他の代わり探さなきゃならなくなるんだろうしな……。次の休み時間で手を洗って、昼休みは今まで通り過ごせばいい。変わったのはオレだけなんだ。オレさえ普段通りにしていれば問題ないってのに、変な好奇心起こして触っちまったのが良くなかった。反省しろ、裕介。ああ、えっと、問三ってコレか。



  巻島くん、なんか本当、普通にイイ子なんだよなぁ。

  男の人としてもそうだけど、ただの人としても。

  久々に人を好きになったと思ったら年下なんだもん。

  二個下はちょっと距離あるし、卒業まであと四ヶ月か。

  連絡先すら知らないのにムリだろうなぁ。

  しかもなぜか最近寒咲くんと付き合ってる説まで流れ始めたし。

  あいつはあいつで好きな奴いるのになー



 「え」

 「どうしました?」

 「あ、いや……x=–3のとき最大値0」

 「はい、正解です。次の問四を──」

 何言ってんショ、さん。あ、声には出してねェのか。オレが聞こえちまうってだけで。久々に人を好きになった? それが、オレ……? さんとそんなに接点なかったよな……一体オレのドコに好きになる要素があったって言うんだ。全然見当がつかないっショ。ミドリくんミドリくんってアダ名で呼ぶから、周りから仲良いのかって聞かれることもあったけど、正直それほど親しいワケじゃない。知ってることと言えば、、って名前と、三年なことと、寒咲さんと仲がいいことと、あの人が作るドリンクが絶妙にうまいことくらいだ。好きなものも誕生日も知らないショ。今日だって、図書委員だったの初めて知った。受験生だから、三年は委員会とそれほど関わらないしな。昼休みの貸し出しを三年がやるっつーのも珍しい話だ。そういや、先週寒咲さんと指定校の推薦で合格出たって話してたっけな。



  ま、大学は決まったし、少しくらい思い出作りしても許されるよね。

  巻島くんはどういう本を読むんだろう。

  昼休み、何話したらいいか分かんないや。

  ロードの話してたほうが無難かなぁ。

  買い換えたタイムの話とか?

  うーん、私メカ詳しくないしなー。

  どういう会話だったら繋げられるんだろ。

  無言になる可能性もあるけど。

  そのときはバレないように巻島くんの匂い嗅いでおけばいいか。



 さん、オレの匂い嗅ごうとしすぎショ!! たしかに髪が伸びてきてからトリートメント変えたけど、そこまで匂いキツくないよな? 少なくとも家で言われたことないショ。金城と田所っちにも、ほかの先輩にも言われたことがない。

 つか、さん、心の中だとオレのこと「巻島くん」て呼んでンのか。なんでわざわざ「ミドリくん」って変なアダ名つけて呼ぶんショ。文字数だって一文字しか違わない。呼びやすさは変わらないショ。あ、チャイム鳴ったな。……手ェ洗いに行くか。



  わー、彼氏とお昼ごはんとか、憧れる。

  自転車ばっかの三年間だったなー。

  巻島くん押しに弱そうだし、

  そのうち彼女作ったりす…か……



 徐々に声が遠ざかってゆく。流し終わってハンドタオルで拭く頃にはもう聞こえなくなる。何度か試した通りショ。心の声が聞こえても、誰か会話している相手がいる場合、ツギハギみたいな状況しか入ってこない。おそらくさんの友達が昼飯を彼氏と食べるって話でもしてたんだろうな。まァ、オレには関係ないことショ。




 静か、だな。

 心の声つうのは、普通の声と聞こえ方が違う。頭に直接響いてくる感じだ。聞き流すってことができねェ。雑音みたいにならないんショ。複数人に触れたら別なんだろうが、今のところそれは試していない。頭が痛くなりそうだしな。こうして手を洗っちまえば何も聞こえないってのは、便利っちゃあ便利ショ。けど、心の声を聞いているのはオレの意志だって言われてるようなモンだ。罪悪感が沸くときももちろんある。何かのはずみで触っちまったときは言い訳が効くが、自ら触ったなら話は別だ。さんは───間違いなくオレの好奇心で近づいた。本人はおそらく知られたくなかったはずだ。当たり前ショ。知ってほしいなら顔や口に出してる。少なくとも、オレにはまったく分からなかった。分からないように振舞ってくれてたのに、オレが特に考えず、おもしろそうってだけで心ン中を覗いた。最悪だ。どこがさんの言う「イイ子」なんだ。あー、色々考えてたら黒板写すの忘れたっショ。メッチャ消してる。もう間に合わないショ。後で金城にでも写させてもらうか。たしか同じ先生だったショ。古典て苦手なんだ。同じ日本人のくせにヨ、何言ってるか分かんねェっショ、これ。多分、こいつらの心の声が聞こえたところで、何言ってるか理解できねェだろうな。

 あれ、あそこにいんの……さんショ? 今の時間体育なのか。校庭走ってんな。クハッ、遅いっショ。壊滅的だ。運動センスが。そういや、自転車は見るの専門で運動が苦手つってたか。こうやって考えると、オレもさんのこといくつか知ってんだな。大学は指定校で、合格してて、運動が苦手。でもこんくらいショ。あとは、

 「おーい巻島ァ、体育の女子ばっか見てんじゃねーぞ」

 「……すいませんショ」

 くそ、恥かいちまった。笑ってんじゃねーヨ。ったく。あーあ、先生に目つけられると面倒だ。途中から板書するか。



 「あ、ミドリくーん! 呼びに来たんだけど大丈夫?」

 「ショオ!?」

 わざわざ一階に降りてきたのかヨ、この人。図書室は二階だし、片手に弁当持ってるってことは一階の購買に用があったってワケでもなさそうだ。弁当って図書室持ち込んでいいのか? とりあえず昼飯のアンパンとミネラルウォーター持って行くショ。

 「すいませんショ、わざわざ呼びに来てくれたんスね」

 「細かい話してなかったし、ミドリくんの連絡先知らなかったから。お昼食べた?」

 「まだです」

 「じゃあ一緒に食べよ、私もまだなんだ」

 「図書室って飯食っていいんスか?」

 「ううん、ダメ。けど図書室の前の階段で食べたりするよ。貸りそうな人が来たらお弁当廊下に置いて、貸出手続きするの。早弁する子もいるけど、私お昼はお昼時間て決めてるんだ。じゃないと午後お腹すくでしょ」

 「そういう感じなんスね」

 「うん、そういう感じ! ミドリくんアンパンだけなの? 田所くん見習ってもっと食べないと! ロードレーサーなんだから」

 「あいつを見習うってのは無理があるショ……」

 「ま、いいや。とりあえず行こ行こ」

 「はいショ」

 意外に普通ショ、さん。もしかしたら腹ン中で色々考えてるのかもしれないけどな。腹っつーか心か。聞こえたら聞こえたで面倒だし、聞こえないと聞こえないで不安つか物足りないな。まったく、不便すぎるショ。

 さん、ときどき振り返ってオレのこと見てくる。散歩中のジョセフィーヌみたいショ。オレがついてきてるって分かると嬉しそうにするところもそっくりだ。思わず笑っちまった。

 「どうしたの?」

 「いや、なんでもないス」

 「犬みたいって思った?」

 「え」

 まさかさん、オレと同じチカラを持ってるんじゃァ……。

 「前に言われたんだよー、寒咲くんを図書室に案内してるとき」

 「あ、ああ……そうなんスね」

 なんだ、ただの勘違いか。そりゃそうショ、こんなチカラ持ってるヤツがゴロゴロいたら、世の中おかしくなっちまう。

 

 「いただきまーす」

 階段前に着いた瞬間に弁当箱広げたショ、さん。腹へってたんだな。つかオレどこに座るのが正解なんショ。隣か? 一段下か? 一段下だろうな。背中見せるのも失礼になるだろうし、多分こっちショ。斜め向かい合わせ。ん……違ったか? さん変なカオしてるっショ。この人は、心の声が聞こえないとたまに何考えてるか分かんねェな。基本的には分かりやすい部類なんだろうが、ふと分からなくなるタイプのヤツっショ。

 「あ、ごめんごめん。ミドリくんとお昼ご飯一緒に食べてるっていうのが新鮮で」

 「そうスね」

 「っていうのもあるけど、ちょうどミドリくんに陽が当たって宗教画みたいだなって」

 「宗教画?」

 「そうそう、神様とか天使とか描いてあるやつ」

 「……あッ…アンパン持ってる天使なんていないス」

 さっきのさんの心の声を思い出して吹き出すところだったショ。この人にはオレが天使みたいに見えてんのか。

 「さんて、視力悪いんスか?」

 「えっ、なに突然。ああ、宗教画っぽいって言ったから? いや、お世辞じゃなくて本当にね、そう思ったの」

 「……そうスか」

 あんこの味しないショ。不良品だ、これ。パンもいつもよりパサパサしてる気がする。ミネラルウォーターで流し込むしかないショ。

 「あっ、ごめんね食べるの遅くて」

 「いえ、気にしないでくださいショ」

 「ありがとう、優しいね、ミドリくん」

 「……んなことないス」

 「いやいや、んなことあるって。昨日だって練習中に道に迷った人案内したんでしょ?」

 「アレは…あからさまに地図片手にキョロキョロしてたんで」

 「前に寒咲くんがケガしたときも絆創膏走って取りに行ってくれたし」

 「オレが一番保健室に近かっただけス」

 「今日だって、私が頼ったら二つ返事で引き受けてくれた」

 「たまたま昼練がなかったから……」

 「いつも練習終わりにバイク磨いてるし」

 「そいつは当たり前のことショ」

 「白岩くんのことだって先輩として立ててくれたでしょ」

 「別に立てたってワケじゃァないス」

 「素直じゃないなぁミドリくんは」

 「さんだってそうじゃないスか」

 「え、私わりと素直って言われるけどなぁ」

 表向きは、ショ。たしかに素直なのかもしれないが、本当のことは口に出していない。まァ、口に出されても困るっちゃ困る内容か。あ、あの卵焼きウマそうショ。

 「卵焼き食べたい?」

 「あ、いや……ジロジロ見てすいませんショ」

 「いいよ、一個いる?」

 「いや、大丈夫ス」

 「そっか」

 さんは最後の卵焼きを口に入れると、弁当箱の蓋を閉めて袋に入れた。紐を蝶々結びしている。指が細いと輪っかが小さくなるんだな。

 「じゃ、貸し出しのところ行こうか。まだ人来ないみたいだけど」

 「うす」

 立った瞬間、さんの鼻がひくついた気がした。一段下だから、ちょうどオレのつむじあたりがさんの鼻の位置にある。さっき心の声聞いたからって、オレが意識しちまってるだけか?……いや、実際ちょっと嗅いでるショ……。

 「……いい匂いがする」

 小声だけど近いから聞こえちまった。

 「!?」

 思わず頭おさえて見上げると、真っ赤なカオしたがいた。

 「……!? あっ! 口に出てた! ご、ごめん!! 思わず!」

 「あ、いや……」

 「……い、行こうか」

 さん、耳まで真っ赤ショ。後ろからでも分かる。

 「ミドリくん、本当にごめんね。変な先輩で。あはは」

 今、心の声を聞いたら──いや、それはナシだ。つい伸ばした左手をポケットへ戻す。

 「あの…問題ないス」

 「そ、そっかー。あはは」

 作ったような笑い。何考えてるか分かればいいのにな。分かる方法は知ってるけど、オレはしない。この人の口から聞いてみたいんショ。なんでオレの匂いを嗅ぐのか、どうしてオレを「ミドリくん」って呼ぶのか、何がキッカケでオレを、好きになったのか。ま、いずれにせよ今日はムリだな。椅子に座ってからずっと無言ショ。さんもオレも本を読んでる。……わりと嫌いじゃないショ、こういう時間。



 「あ、! いたー」

 ん……さんの友達か? とりあえず会釈しとくショ。

 「『ミドリくん』じゃん。こんにはっス」

 「コンニチワ……」

 友達にまでオレのこと『ミドリくん』て話してんのか、さん。

 「あれ? 今日秦野くんとお昼つってなかった?」

 「ケンカした」

 「おぉ……どうしたの」

 「健斗が名前で呼んでくれないから」

 「苗字で呼ぶってこと?」

 「ううん、『なぁ』とか『ねぇ』とか」

 「それはそれでいいんじゃない? 熟年夫婦感あって」

 「まだ熟年夫婦じゃないし!」

 「一ヶ月とかだっけ?」

 「うん。てかさ、名前で呼ばない意味が分かんない」

 「あー、好きな人ほど名前で呼べないってのはあるかもね」

 「が? なんか意外」

 「え、なんで」

 「だってあんた素直じゃん。そういうとこアタシ好きだし」

 「何よォもう急に褒めないでくださるゥ?」

 「何その口調。でも呼べない場合ってどうすんの? 『ねぇ』とかってこと?」

 「えー? 適当なアダ名つけたり……」

 「ふーん……『ミドリくん』じゃん」

 「えっ」

 急に指さされるとビビるっショ。

 「待って待ってそうじゃなくて、いやそうなんだけどこんな形じゃなくて」

 「あ〜、ごめーん、お詫びとして退散するねッ」

 「ちょっと今ふたりにしないで…!」

 うお、足速いショあの先輩。さんとは大違いだ。今は心の声聞こえないけど、さんが焦ってるのがよく分かる。立ち上がってさっきの先輩のほうへ手ェ伸ばしたまま、固まっちまってる。まァ、オレも似たようなモンだけどな。

 「……」

 「……」

 ロボットみたいな動きで座ったショ、さん。

 「あのー、あまり気にしないでね」

 「……」

 「ミドリくんは可愛い後輩だし」

 「オレはさんのこと、よく知らないス」

 「そ、そうだよね……」

 すげー悲しそうなカオするショ、さん。そうじゃねーつの。

 「だから知る必要がある」

 「どう……」

 「まずはオレのこと、ちゃんと呼んでくださいショ」

 「えっと、ミドリくん……」

 「それじゃないショ!! 『巻島』とか『裕介』とか。あ、いや『裕介』はやっぱナシだな。とりあえず『巻島』って。話はそれからス」

 間がすごいショ。オレが先輩おどしてるみたいじゃねーか。実際そんなモンか。あ、ようやく口開いた。

 「ま、きし、まくん」

 すげーカワイイ笑い方すんな、この人。初々しいつか、素直つか、まっすぐだな。ピュアな感じがする。寒咲さんとデキてるっつー噂以外、浮いた話がなかったって白岩さんたち言ってたっけ。一年の頃から部活マネージャー業一筋で告白も全部断ってたって。中学のときは知らないけど、まァ……似たようなモンなんだろうな。このキラキラした純粋な目。

 「あの……あらためまして、よろしくね」

 握手、か? 手ェ差し出してるショ。この流れで断ったらオレ、嫌なヤツだよな……。やれやれ、仕方ねェ。こいつは抗いようがなかったってことだ。



  あ─────ッやっぱ天使!

  はにかんだ笑顔、かわいすぎ!殺す気か!

  この手ビニール袋に入れて手首輪ゴムで留めて一生洗わない!!

  いま絶対この手イイ匂いする!!!

  すぐにでも嗅ぎたい、吸いたい!!!!



 さっきの発言撤回するワ。純粋? ピュア? とんでもねェ。やっぱりこの人、変態っショ!!!







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